おりすじ

「二人目の羽鳥」 羽鳥公士郎


 羽鳥氏が折り紙と出会ったのは小学校の頃。笠原邦彦氏の著作などを見て折っていた。中学・高校時代に一度は折り紙から離れた羽鳥氏だったが、一年前、偶然に『をる』の新聞広告を見て『をる』を購読し、「創作折り紙がここまでになっていたのかと」大きな衝撃を受け、再び折り始めた。 
 この文章は『をる』第6号の羽鳥昌男さんの記事の冒頭の剽窃であると同時に私の折紙歴の実録にほかならず、このような珍しい名字の故に名字が同じだけでも珍しいというのに、さらに、ところで折り紙界で羽鳥さんといえば羽鳥昌男さんを指すのは自明ですからこれ以降単に羽鳥さんと表記することにしますが、羽鳥さんがお寿司屋さんなら私の家はお蕎麦家さんだし、創作をせずに複雑な作品を綺麗に折るという態度も同じであって、しかしもちろんあるだろう相違点のうち最も厳然たることは、羽鳥さんは「折り紙名人としてその名を轟かせ」ているのに対して私は独自の様式を編み出そうと目下苦闘の最中であるということで、そもそも私が折り紙探偵団に入った経緯はといえば、その頃私が持っている折図は『をる』に掲載されているものだけで量的に飽き足らず、また12才で折り紙を忘れてから21才で折り紙を再発見するまで長い沈黙期があったとはいえ私はまもなく9年前よりも技術が自由になっている自分を発見して質的にも飽き足らず、かといって私には創作をする意思も能力もなかったところ、新聞で羽鳥さんの個展の記事を見つけ、同姓に対する好奇と作品に対する感嘆とにおりがみはうすを初訪問して、同地で『ティラノサウルス全身骨格折図』を見つけ購入したところ探偵団を紹介していただいて現在に至ったというわけで、しかし私の目標は羽鳥さんの様に折ることでは決してなく羽鳥さんの様になることで、羽鳥さんの折りを模倣するのでは羽鳥さんにはなれませんが、もっとも羽鳥さんのやり方に私は基本的に賛成せざるを得ないのだけれど、衛生第一はもちろんのこと、「仕込み」の段階は綺麗に折るためには不可欠なのですが、私の場合「仕込み」とは、作品を自分なりに分析して折図を描き直し、折り始める前にできるだけ折目をつけるという方法を考えていて、また音楽は私の場合いわゆる現代音楽が有効で、糊の類は極力使いたくないのですが作品保存のためどんな紙を使うかということも含めて悩んでおり、人に見せられるような作品はいつまで経ってもできそうになく、ところが羽鳥寿司店の棚に作品が飾ってあるのをテレビで見た母は「おまえも何か折って飾れば」といい、どこからかレザック75を四六版で十枚調達してきて、「この紙はずいぶん堅いけれど折り紙に使える?」と訊くので、羽鳥蕎麦店の棚には紅白の薔薇とル・モンドを読む男性と獲物に飛びかからんとするティラノサウルスとが笊蕎麦やカレー南蛮の臘細工と並んで醜態を晒していて、近日中にティラノサウルスの黄鉄鉱置換化石を参入させようと思い、あの折図を自分で再構成するという途方もない作業を亀の堅実さと牛の迅速さとで漸進させている今日この頃なのであります。 

HATORI 1994 12/15