おりすじ

「なぜ、折るのか」 榎本宣吉


 私の折紙歴は保母試験が出発点である。今から14年前、保母資格の取得を志し、栃木県の保母試験を受験した。この試験は約1〜2カ月前に準備講習会というものがあり出題範囲がだいたい分かるシステムになっている。その講習会で、本番の試験に折紙が出ること、そして、それが夏に関係したものらしいということが分かり、折鶴の折り方すら知らなかった当時の私は早速本屋巡りをして、適当な本を買い集め、いくつかの折り方を覚え、試験に臨んだわけだ。正確さには自信がないが、「折紙で夏の情景を表現する。」といったような問題であったと思う。当時の試験官は受験生に対して、「全部折紙でなくてもいいですよ。少しぐらい紙を切ったりちぎったりしてもいいですよ。」「ここの試験は合格率が高いんですよ。8割ぐらいの人がパスします。」と言った。その言葉に緊張が和らぎ、結果的に、無事合格した。

 前置きが長くなってしまったが、私と折紙との関係はこうしてスタートした。しばらくの間、折紙は私にとってノルマ以外の何物でもなかった。本を読んで折り方を覚えるという作業に苦痛を感じた。折ることが楽しくなったのは「世界の折紙傑作集」と言う本を読んでからである。一冊の本との出会いが私の人生を変えたと言ったらオーバーに聞こえるが、本当にそういった経験であった。

 考えてみれば私は折紙と見合い結婚したのである。親から言われて仕方なくお見合いし、仕方なく結婚してしまったようなものだ。しかし、それなりの魅力がなければ関係は長続きしないものだ。私にとって、折紙の魅力の本体は、「折り紙を通して多くの素晴らしい人たちに出会える。」ことであった。少なくとも、妻に、「一週間に200〜300円の小遣いがあればそれなりに満足し、楽しんでいる安上がりな亭主。」と思われるだけでも、折紙を続けている価値はあったと感じる今日このごろである。


ENOMOTO 1991 2/15