おりすじ

「続・あるフリーターの優雅な生活」 橘高美保子


 『箱の百面相』をうきうきと借りて帰る。「折り方のやくそく」と照らし合わせながらひと折りひと折り。うーむ。四枚折れたのはいいが組めやしない。どうしても組めない。眺めるだけの二週間が過ぎてゆき、一旦返す。気になるので又借りる。繰り返し読んで返す。あきらめのムードが漂う。箱にならなくて当たり前かも。三年前の入院中、退屈紛れに売店の千代紙を買った時だって、鶴しか折れなかったくらいだし。
 思えばこのとき以来、心の片隅に「箱にならない無念」を抱いて生活していた私である。たとえ十センチ四方の小さな記事だとて見逃すわけがなかったのだ。もっとも、その記事に注目した人間は結構多かったらしい。大阪・中之島でユニット折り紙公開講座をやるよ、というそのお知らせには、当初予想の数倍もの申し込みが殺到したのだから。
 講習日、新しいバイト先を爽やかにサボッた私は足どりも軽く中之島へ。そしてそこで、講師の布施知子さんと出合うことになる。やがて二時間半の講習が終了。興奮醒めやらぬまま彼女のサイン会に列をなす人々。私も感動していた。今日からは箱が組めるんだしかし私は列に並ばなかった。なぜかもう一度彼女に会えるという予感があったから。(これは当ったネ)もっと本音を言うと、並びたくなかった。自分が単なる布施知子ファンで終わるのが厭だったから。(偉そーに)
 まあとにかく、それからの私は寝食を決して忘れない程度にユニット折り紙と付き合うことになる。ある時は両面折り紙の色合いに愚痴をこぼし、またある時はしこたま買い込んだ包装紙の重みによろけつつ、ユニット折り紙は私の気になるテーマの一つとして、常に意識下に存在していた。
 で、現在の私はというと…やっぱりただの知子ファンだったりして。
(おしまい)

KITTAKA 1992 4/10