おりすじ

「折り畳まれた記憶」 前川淳


 懐かしさというより、あまりの取るに足らなさに、頬がゆるんでしまう古い記憶がある。日清のチキンラーメンの記憶だ。こうして書くといかにも情けないが、内容も大したものではない。幼いわたしがラーメンができるのを待つ長い長い3分間に折り紙(蓮の花)を折っているというだけのはなしである。まったくもって「何だそれだけ」てなもんであるが、反復して思い出されるためか大事な思い出になっていて、死に際の「走馬灯」にも出てきそうなのである。当時のわが家の家具の傷とかフスマのしみとか、奇妙にディテイルが揃っている。「いろがみ」が今のものに比べて安っぽく、色が落ちやすいものであったのも記憶に鮮明だ。思い返せば、当時の「いろがみ」は折り紙の素材としてより、それを水に浸して色水を生産する材料としてあった。パッケージの表には、瞳に星を宿した女の子の絵が、裏には、ピアノやおうちの折り方の図が描かれている。最近の折り紙用紙に付いている「山口真先生指導の折り図」とは大違いの、投げやりとも見える図だ。紙のかたちも正確に正方形とはいえない。そんな紙に汗をにじませ、指先を紙の色に染めて蓮の花を折る。ラーメンができあがる。手を洗ってきなさいと、母親に叱られる。
 番号順に線を結ぶと絵が浮き出てくる遊びのように、折り紙に関する記憶をたどってみる。チキンラーメン、クリスマス会、病気で寝込んだ枕元、…。 小学校の低学年から思い出は途切れ、わたしは18,9才になっている。ケガレなきオサナゴも「平面の分割と紙の重畳に関する情緒的研究」という勿体ぶった題のノートを記すてらいに満ちたセーネンになっている。このノートを勇んで見せにいったのが、「おりがみ-超難解作品集」(すばる書房)の著者、今のわたしとほぼ同じ歳の笠原邦彦さんだ。当時のわたしは自分から見てもエキセントリックな若者で、最近の笠原さんなどは、「前川君も普通になったねえ」と少しがっかりしたように言う。いずれにしても、そこからわたしと折り紙の本格的な付き合いが始まったわけである。思い出すことは多く、それはこの小さなスペースでは到底書ききれない。折り紙はわたしの思い出に大きな重みを与えている。重みという言葉はものが紙だけにふさわしくない。そう、それはわたしに様々な襞(ひだ)を付け加えてくれている。

MAEKAWA 1995 6/15