おりすじ

「蒐集癖について」 鈴木雅子


 私には小さな頃から業のような蒐集癖がある。何か集めていないと生活が安定しない気分にさえなる。小学校時代には消しゴムや切手やマッチ箱などに夢中だった。つまり普通のモノを集めて満足していた。それが成長につれて「友達とは違った物を集めたい」と不純なことを考え始め、より無意味で非実用的なも物を集めたがるようになる。高校時代にコレクトしていた物の一つに、プラスチックの菊の花があった(スーパーのお刺身のパックなどに添えられている、あの黄色い模造品)。“質より量”の言葉通り、安っぽい造花でも十個も二十個も並べると何だか美しかった。
 大学に入ってからは、もっぱら乾燥剤とレシートを集めている。コレクターは少ないと思うが、乾燥剤はなかなか蒐集向きのジャンルである。「シッケトール」とかいい加減なネーミングが多くて面白いし、小さいので管理しやすい。何より乾燥剤はそれほどやたらに溜まらない。お菓子や海苔などに付いている食品用乾燥剤を集めた結果、私は二年間で六十個弱。この点でレシートのコレクションは大変なのだ。普通に生活しているかぎり、毎日四、五枚は手元に発行されていく。それが二年も経てば相当の量になる。そろそろどうにかしなければならない。私は少し前から大きく膨らんだコレクト袋を持て余していた。他から見れば紙屑の詰まったゴミ袋とはいえ、ここで棄ててしまうのは蒐集の道に反するだろう。
    そこで最近、ちょっとした解決策を捻りだした。集めたレシートで千羽鶴を作るのである。これは私自身でも名案だと自負している。大きさ、紙質、そして集めた量からしても、袋の中身の紙屑は千羽鶴に最適だった。矩形の紙片を一枚づつ正方形に切って折り続けるわけだが、この作業はなかなか感慨深い。家計簿を繙くようなもので、私は鶴を折りながら過去二年間の経済生活を辿りすことになる。スーパーやコンビニなど日常レベルの消費に紛れて、比較的高額の購入物件も稀に出できたりする。今では店頭から消えた商品名を見つけることもある。一枚折るごとに買物した当時の状況が鮮やかに蘇る。店名や電話番号はもちろんのこと、日付と時間、レジを打った店員の名前、定休日やキャンペーンのキャッチコピーまで、正に必要にして十分の量の情報が僅かな紙面に書き込まれている。
 三省堂の国語辞典を引くと、「收集・蒐集」の項には「(1)研究や趣味のために集めること」に続いて「(2)ごみなどを、あちこちから集めること」とちゃんと書かれている。意味もなく目的も立てずに物を集めるのは本当に楽しい。こんな調子だから、「どうして集めるの?」とか、「集めて何になるの?」とか、うるさく言われることが多い。同様に、「どうして折るの?」だの「折って何になるの?」と訊かれることもある。その手の質問だけはやめてもらいたい。効率主義で生きている人達に、私の気持ちをどのように説明すればいいのやら。美しいものは無意味で無目的なものにしか現れないものと信じて、私は集めたり折ったりしているのだけど。

SUZUKI 1994 6/15