おりすじ

「おりすじをつける前に」 松下直子


 6月。毎年5丁目の神社の紫陽花を確認するのは、子ども時代からの私の一人遊びのひとつであった。生まれも育ちも文京・白山。とは言え此処がおりがみの聖地だとは、2年前までよく知らないでいた。
 ある日の事、『季刊をる』創刊のダイレクトメールが郵送されて来た。どうして私なんぞにこのメールが…? が、勿論、謎は直ぐ解けた。そう、あそこだ、と。一度住所と名前を書いたのが残っていたに相違ないと。(今頃になってその有り難さを痛感する。)近くなのに…おりがみ嫌いになった訳でもないのに…。兎に角ずっと行っていない。本当にずーっとだった為、『をる』を申し込むことにすら若干の気後れを覚えたものだった。しかし思えば、あの選択は、結構大きな分れ道だったのかも知れない。寿の80円切手を連想させる(?)あのダイレクトメールは私に、おりがみはうすとの再会と、折紙探偵団との初対面を準備してくれた。記憶の中で、そんな認定がなされている。
「遅くなりましたぁ、髪の毛、行ってて」
 汗を拭きつつ目ガネ氏、登場。
 "馬の開き"で湧いていた昼下がり…。名刺をくれた。『あわて床屋』のうさぎくんを折った人か、なる程。覚えたぞ、と思った私の様子が既に少々おかしい。古くさいジーパンも汚れて丸めたハンカチも、何より散髪後の青々したうなじ。そして、いかにも善良そうな、且つセカセカした態度…。どれもこれも微笑ましくそして妙に腹立たしい。何故だ?
 帰宅後、ゴロゴロしながら『をる』(第1号)を開くと、96ページだった事をよく覚えている。小さな偶然だな、と心で呟きながら、貰った名刺を栞にして床に就いた。
 季節は巡り、それから更に2年が経つ。「紙を折る時の右手と左手の様な、そんな夫婦に成れますように。」唐突だが、目標とシャレ込んで先日思いつき、一人たのしんでいる。
 6月。未来の自分に、今年の6月は、大きな記念日として伝承されることになる。真っ只中に居る現在は、何やら気忙しさばかり先に立ちあまり自覚が無いけれど…。
 神社の紫陽花が色づくのは何日頃かしら。里帰りして、今年もちゃんと確認に来なくちゃ。敵のポッケからご縁玉でも一枚抜き取って、チャリンと鳴らせ。感謝を込めてパンパンしたら、その足でおヒゲのおじちゃんの綿あめを食べに行こう!

編集部注:筆者は今頃西川誠司夫人となっている予定です。

MATSUSHITA 1995 6/15