おりすじ
「引っ越しと折り紙マニアのおばさん」 本位田那穂美
昨年6月11回目の引っ越しをしました。独身時代をいれて15回目!引っ越しと折り紙はあまり関係がないようですが、私にとってはおおありでした。まだ引っ越しは続きますから正確にはずっとおおありでしょうか。特にベイルート(あの内戦のおかげで日本出発後すぐにギリシャへ避難し40日で帰国)と3年間のギリシャ在住時代は、アラビア語、ギリシャ語、英語、まるで駄目な私にとっては最初はおっくうな生活でした。その時代の救いの紙が折り紙様だったと言う訳です。
折り紙は物心ついた時からずっとやっていたようで、母や幼稚園の先生から教わった物はずっと覚えていました。ちなみに私は和歌山市立の幼稚園の創立時の入園生でしたが、その幼稚園では園児の誕生祝いには先生手作りの折り紙の三方に鶴、亀、その他その月々の季節の折り紙など数点入った物がプレゼントされました。そして長い間折り紙というのは伝承の物を折っている事だと思っていたのですが、結婚してからは誰かが考えた物ばかりでは進歩がないという主人の一言で自分でも考えて折れば良いのだと思うようになっていました。丁度、日本折紙協会の第1 世界展にくすだま“なおみ”を出品させていただいた代でした。
ギリシャ時代は言葉によるコミニケーションが出来なくても現実には2人の子供を学校に通わせ毎日生活していかなくてはいけなかった訳でした。ある時パーティ(外国では夫婦出席が原則)で話しかけられた時とっさに折り紙をやってみせたところ、教えてほしいといわれ、その後パーティにはかならず折り紙持参となりました。そして折り紙を折ることでコミニケーションができると言う事がわかったという訳です。
帰国後は協会のシンポジウムに毎年のように参加することで全国に友達が出来、おりがみはうすの山口さんともお知り合いとなり、折り紙とかかわる時間がどんどん増えてきました。そして気が付いてみれば、引っ越した時の淋しさや子育ての難しい時期など数えあげたらきりがない位折り紙をすることで救われてきました。6年前に何回目かの東京での生活がはじまりおりがみはうすを訪ね、折り紙探偵団との出会いがあり、常に驚きと発見の連続で年齢を忘れて勉強させていただいています。そして私を救ってくれた折り紙のすばらしさをできるだけ多くの方に伝えそして一緒に楽しむ事が今の私に出来る仕事だと思い努力していこうと思います。
HON-IDEN 1994 2/15