おりすじ

「作風ということ」 田中稔憲


 よく、山科節子さんと、どうして「人物を作るのか」と言う話をよくする。山科さんの言い方では「あまり作られていないから」ということになるのだが、私が聞きたいのは「あの独特の雰囲気はどこからくるのか」と言うことである。これはご本人から聞いたことなのだが、何年か前に金沢で私たちグループの作品展をしたときのこと。山科さんの友人の一人が会場にきて、「これが貴女の作品でしょう。すぐ分かった。」と言われたのだそうである。そうおっしゃった方は折紙についてはずぶの素人だそうである。私はこれはすごいことだなあと思う。例えばゴッホやルソーの絵は、それが見たことのない絵であったとしても、私たちはたいていなら画家の名前を言い当てることができる。その描き方に特徴があるからである。折紙作品については、あまりそんな話は聞かない。できた作品をどう飾るかという事ならあるかもしれないが、折図さえあれば、だれでも同じものを作り出せる「折紙」と言う造形分野の創作という過程でそれだけ強い個性を発揮するということは普通じゃできないと思うのである。これが天分ということだろうと思う。
 ひるがえって自分はどんな作品を作ろうと考えているだろうか。現実はなかなかそうならないのだが、理想としては
(1)美しいこと(2)可愛らしいこと(3)折りやすいこと(そんなにステップが長くならない)(4)適当に折りごたえがあること・・・・を目標にしているつもりである。
 対象の特徴を的確に捕らえ、単純化に成功したいと思う。実際はかなり実物とは違う形なのに見た目に「そっくり」と感じさせることができれば最高である。例えばその典型が自信作の朝顔である(と勝手に思っている)。他の作家の作品もみな特徴を捕らえていてそれぞれ納得できるが「そっくり」という印象を与えるのは私のものだけだろうと思う。(実際にそう聞いたのだ!)しかし、実際の朝顔はあんなに花びらは反り返ってないし、かなり、形も違う。それでもそっくりという印象を与えるのは私たちが頭の中に共通に持っているイメージを現実化できたからだと思う。そういった質の高い単純化に成功した作品を死ぬまでに3つでも4つでもできたらと考える。
 そのためにはイメージを頭の中にしっかり作ることが必要で、それに何年もかかってしまうことが多い。(つまり才能もないし、頭もあまりよくない。)そこから個性が滲み出る作品なんてとても作れない。でも、やはり「造形」として勝負できる作品を作りたいと思うのである。

TANAKA 1994 8/15