おりすじ
「わが家のオリキチ」 野中陽子
「創造的な仕事というのはいいね」と、私が展覧会の作品づくりをしているとき、日頃は無口な息子が言う。彼は現在、大学院で制御工学とやらの研究をしているが、20年前の幼稚園の頃は折り紙に夢中だった。多分ゲーム感覚で楽しんでいたのだろうが、本を見ながら余り熱心に折るので、家族は彼をオリキチ(折紙気違いの略)と呼んでいた。
当時、私は下の二人の娘の世話と短歌作りに忙しく、折り紙にはほとんど興味がなかった。それが数年後ボランティア活動をする上で、必要に迫られて習いに行って驚いた。そこで私は笠原邦彦さんのパンダに出会ったのだ。折り込む過程のユニークさ、出来上がったパンダの愛らしさ!折り紙とは一枚の紙に命を与えるものと知り、わが家のオリキチ第二号の誕生と相成った。
その後NOAの会員となることで沢山の人人と作品に出会い、遂に娘時代から三十年近くも続けてきた短歌を離れ、今では折り紙に触れない日の方が珍しい。
一方、息子は成長と共に折り紙から離れ、プラモデル、天体観測から物理や化学の方面へと関心が移っていったが、今も良き理解者であることには変わりない。
短歌と折り紙には共通点がある。短歌は三十一文字の定形の中での自己表現であり、折り紙も正方形という制約の中に無限の可能性を求める造形活動で、共に日本の気候風土の中で育まれて来た伝統文化であること。
歌をやっていた頃は、毎月原稿の締め切りに追われた。一ヶ月何十首も作る同人もいたが、私はいつも十首そこそこの寡作で、先生によく叱られた。それでも続けることに意義ありと開き直って続けたのは、創作する喜びが何者にも替えがたいものだったから−。
折り紙は毎月いくつも創作、とはいかないが、他の人が考えたものを自分の手で再生する楽しみがあり、教える喜びもある。だがそういうときも創意工夫する姿勢は大切にしたいと思っている。
私の夢はいつの日か、自作の短歌と折り紙を併せた色紙作品の個展を開くこと。
ところで、わが家のオリキチ第三号だが、今のところ見当たらない。でも娘たちが興味を持っていることだけは確かである。
NONAKA 1995 8/25