日本の折り紙がいつごろから作られるようになったのかということは、残念ながらよく分かりません。しかし、手紙を折り畳んだり、紙で物を包むときに折ったりするようなことは古くから行われていたのでしょう。それらが武家社会で発達して様式的に整えられ、実用的また礼法的な折り紙の文化を生み出したのです。しかし、近代になって、特に昭和に入って急速に忘れ去られ、現代では、贈り物に付ける、赤と白の紙を折った飾りである熨斗(のし)などが残っているにすぎません。
鶴や舟など、具体的な物の形に見立てて折るものを遊技折り紙と言います。それらはもともと、病気や不幸などを人間に代わって背負ってくれるように、という意味を持って折られていたものではないかと私は考えています。これらが折られるようになるのは江戸時代に入ったころと思われます。大量生産されるようになった比較的安価な紙が庶民の間に普及していった時代と当然重なります。
元禄時代ごろ(1700年ごろ)から、折り鶴や数種類の舟などの折り紙が衣装の模様として流行し、さかんに浮世絵などにも描かれるようになりますので、このころから折り紙が急速に広まっていったことが分かります。
それから約100年後には、折り紙専門の本や刷り物がいろいろ出版されるようになり、多彩で高度な折り紙文化が作られていきました。当時の折り紙は子どもの遊びだけでなく、大人の楽しみでもあったため、複雑で折り方の難しいものもたくさんありました。
一方、ヨーロッパでは、12世紀に製紙法が伝えられて、やがて独自に「折り紙」が生み出されていますが、日本ほど広く厚い折り紙文化の層を持っていた国はありませんでした。
日本では明治時代には、折り紙は幼稚園や小学校などの教材にもなりました。特に幼稚園では、ドイツの教育家フレーベル(1782-1852)が19世紀の中頃に創始した保育法を大幅に取り入れたのですが、その中にヨーロッパの伝承折り紙と、それから発展させた幾何学的な模様折りなどが含まれていて、以降の日本の折り紙に大きな影響を与えました。
明治時代だけでも、多くの無名の作者たちの新作がありましたが、一般には、教えられた折り方の通りに折るものとされていたため、大正時代ごろからの創意工夫を重視する教育界の傾向の中で、折り紙は創造的でないという考えが強まったこともあり、社会的に冷遇されていた時期もありました。
しかし、長い歴史を持つ折り紙文化は見事によみがえり、現代では創作も盛んになり、教育的意味も見直され、豊かな可能性が認識されてきました。大人の趣味としてもかつてない勢いで広まっており、世界各国に愛好家の組織が結成されています。