おりすじ
「なぜ、折るのか」 岡村昌夫
今、私の手もとに一枚の古いハガキがある。茶色に変色し、鉛筆書きの文字がところどころ消えかかっていて、消印は〔昭和〕19・9・12とかすかに読める。当時国民学校5年生で、栃木県の某寺に集団疎開していた私へあてて母が書いたものである。
「・・・又、折紙は未だあるでせうが、やつとあれ一つきりになってゐたのを分けて貰つたので、つひでに送つておきますが、もう買へませんから、余りむだにせぬ様、では身体に気をつけて」
その年の8月18日に足利駅で降ろされて郊外のその寺に着いた頃は未だ遠足気分も混じっていたが、翌朝目覚めた時の絶望感は今でも忘れていない。柳行李の中には六本木の角の本屋で買った「少国民のための万葉集」と、折り紙(いろがみ)が入れてあった。濡れた手でさわると色が落ちる粗悪なものだったが、もう手に入りにくくなっていたのだ。四、五年前から使い古していた折紙の本は東京に置いてきてしまったが、その本の折り
方は全部覚えていたので困らなかった。(その本の著者が誰だったのか、今でも完全に覚えている折り雛は、小笠原流の内裏雛に非常に近いものであった。)
当時の軍国教育の中で、折り紙などを好む軟弱な男の子がいかに肩身の狭い思いをしたか、それでも紙を探して送ってくれた母の気持ちがどんなだったか、感慨無しとしない。母が死んでからもう38年も過ぎてしまった。
その後私は万葉集の勉強を始めて、折り紙は時たま逃げ込む故郷の家のような存在になって行った。そしてふと気が付くと、いつの間にか故郷に帰っているではないか。
”なぜ、折るのか” もうそろそろ答を出してもよい頃だろう。
OKAMURA 1990 6/5