おりすじ

「なぜ、折るのか」 高井弘明


   数年前、なぜ折り紙をやっているのか、とても不思議だと考え出したことがある。
 仕事の関係で、帰宅は早くて10時、12時を回ってしまうことも、しばしばだ。家に着くと食事をして、テレビを見て寝るしかない。
 ところが、年に数日、無性に折り紙が折りたくてたまらない時がある。
 現在のように、作品について語りあう友人もなく、作品集を出してみたいという漠然とした夢のようなものはあっても、誰に見せるものでもないない折り紙を、一人折りたくなる。ビデオを見るなり、眠るなり、もっと有効な時間の活用は、いくらでもあるはずなのに。
 なぜなんだ、なんでこんなことをしているんだ。
 笠原邦彦氏の本で、内山興正氏の「折り紙とは俺紙ですよ」という言葉を思い出した。  私の作品は、恐竜や怪獣がほとんどだ。巨大な生物を自ら、創造することに喜びを見出しているのだろうか。
 折り紙で動物がもっとも多く創作される理由も、これで理解できるだろうか。造物主となる快感を感じているのだろうか。立体や多面体も「原子」と考えれば、やはり折紙作家は造物主だ。
 こんな理屈もつけられるがどうもしっくりこない。
 そのうちに、恐竜の好きな友人や、折り紙の愛好家と出会うことができ、作品を発表する「舞台」ができあがってしまった。今では、「観客」に見せることも、折ることの大きなウエイトを占めるようになってきた。 しかし、やはり最初の疑問にもどってくる。「なぜ、折るのか」 まだまだ、わかりそうもない。

TAKAI 1990 4/5