おりすじ
「祖母に捧げる晩作」 渡辺明広
もう30年くらい前になるだろうか。私がはじめて「折り紙」を意識したのは・・・
窓の外は台風だったのだろう、雨と風がすごかったことを覚えている。
当時の我家には当然のごとくアルミサッシの窓という物などなく、縁側に面した窓には木枠のガラス窓がはまっていた。そのガラス窓には小さなつまみだけをちょこんと出したねじ込み式の鍵がかかっていた。
ガタガタと鳴るその窓ガラスの鍵と鍵の間には一本の細い紐が渡され(確かその紐も紙紐だった)、色とりどりの折り紙作品が下がっていた。折鶴はもちろんのこと船や人形ちょうちんなどがあった。
私の記憶の中では、モノトーンな窓の外の景色のなかで紐にぶる下がったカラフルな折鶴や人形が初めて意識した折り紙である。
それらを折ってくれたのは祖母だった。いわゆる「おばあちゃんこ」だった私は暇があれば祖母と一緒に遊んでいた。普通の子供のように外で遊ぶことよりは家の中で一人で遊ぶのが好きだった私は折り紙やマッチ箱で作る箪笥などを祖母といっしょに作るのが好きだった。
祖母の手から生まれる折り紙を見て子供心に魔法でも見ているような驚きと楽しさがあったのを覚えている。
小学校に入ったばかりのころは将来の夢として「折り紙の先生」になりたいと思っていた。
いまでも外で遊ぶことよりは家の中で一人で遊ぶのが好きな私は遠い昔と今は亡き祖母の姿を思い出しながら毎晩家族が寝入った後一人晩酌ならぬ晩作を続けているのです。
WATANABE 1996 06/15