おりすじ

「いつか見た 遠い空」 木村良寿


 私と折り紙との出会いは20年以上前に遡る。
 第6号において榎本宣吉さんは「私は折り紙と見合い結婚したのである。」と書いていたが、私の場合は「一度別れた人と再会した時、その人は生涯の伴侶となった。」とでも言えばよいのだろうか。
 小学校4年生の時にたまたま本屋で見つけた本が笠原邦彦氏の「おりがみすいぞくかん」であった。さらにその後の「-せかいのとり」「-どうぶつえん」と続いたシリーズに夢中になり、他の折り紙作家諸氏の著作も読み漁った。そんな時期が二年ほどもあっただろうか。だが、いつの間にか興味を失い、折り紙からは離れて行ってしまった。
 再会した時には、中学2年になっていた。久々に折ってみると、どうしたことか、前には難しくてなかなか出来なかった創作がすらすらと出来るではないか。その頃は主に怪獣やらキャラクターものなどを作り、級友の歓心を買おうとしていた。(このあたりは同様の経験をお持ちの方もおられよう。)後に雑誌「おりがみ」に掲載された「ゴジラ」や「フーテンの寅さん」などは中学生の頃の作品である。
 そして、高校1年の夏であった。日本折紙協会から「おりがみ」が創刊された。(当時は一般書店で販売されていた。)店頭でそれを発見した私はすぐに数点の作品を協会に送付した。こんな物で通用するのだろうかと思いながらも。
 ところが、通用してしまったのである。
 ま、実際には作品の質が良かった訳ではなく、題材の新鮮さだけを買って推した編集者がいたということだろう。ちなみに、その編集者は現在は都心の田舎と言われる文京区白山で「おりがみはうす」なる店を営んでいる。
 大学時代には思わぬ魚を釣り上げた。その名はDr.西川”ピエロ”誠司。アニメ雑誌「アニメック」に載せた怪獣やロボットを見て私に手紙を書いてしまった時こそが、彼の人生の曲がり角であったと言えよう。

KIMURA 1991 6/5