その意味での最初の出会いは、河合豊章先生の「おりがみ」(保育社)との出会いと言うことになるだろう。小学校の二年生のことだったろうか、本を読むことを嫌った私を心配した父が本屋へ私を連れてゆき、読みたい本を迫った。困った私は折り紙の本を手にとった。その折り紙の本の表紙の般若の面が不思議に私の目を引いた。これを買ってくれるならと江戸川乱歩の一冊を指差し読書を約束したのだったと思う。それから数年、端から端まで何度も折りまくった。本がぼろぼろになった頃、いつしか創作することの魅力にとりつかれていた。当時(小学校の高学年から中学生にかけて)の創作のテーマは、虫や恐竜を正方形一枚で作ることだった。(なんや、今と同じやないか)今でこそモントロール氏や前川氏の工程数の多い作品が出版され紹介されるようになっているが、その頃はまだ正方形一枚から6本足の昆虫を折る折り方が紹介された本はなかった。本に載っていないものを考えようと躍起になっていた。
幾つか作品が揃ったところで、それを誰かに見て貰いたくてしょうがなくなった。両親や友達には見せていたのだが満足できない。ここで私は一大決心をした。なんと河合先生に作品を送りつけ、ずうずうしくも批評を求めたのだ。数か月後、返事が届いた。手紙にはこうあった。「近く、奈良へ仕事で行く機会があるので会いましょう」これほど嬉しかった思い出は他にそうは見つからない。折り紙に誇りを持った大人との最初の出会いであった。(最近、布施さんから、このとき布施さんが一緒に奈良にいらしていて、私のことを覚えていると聞かされ、驚きました。)
さて、折り紙を趣味としてやってゆくことに自身が持てた私は、高校生のときに以後の私の作品に決定的な影響を与えることになる人物、折紙探偵団の団長、木村良寿氏を知ることに成るが、このことについては次号で紹介することにしたい。